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2012年 05月 26日
![]() 沢の泊り場の理想は流れから一段上がった台地で、かつ水流との行き来がしやすく、少し河原が開けた場所だ。台地は雰囲気のよい樹木に囲まれ、流木は簡単に集まり、河原には近くに美しい淵があったりしたら最高だ。 さて、台地にタープまたはテントを張った場合、焚火は台地でするのか河原でするのかという問題である。私は迷わず河原でするのが好きだし、また好ましいと思っている。しかしテントサイトに使われている台地にはしばしば焚火の跡が残っている。沢登りでは他人の跡が感じられない沢が沢登りらしいと思っているので、他人の焚火跡はいやなものである。また植生が回復しにくいし、なによりも汚く感じてしまう。 テントとの行き来が不便でも、河原で焚火をすれば、その形跡は一雨降れば消え去ってしまう。次に訪れる人に不快な感じを受けさせない。これに対して、土の上での焚火跡を完全に消すのは難しい。しかし意に反して時として、テントのすぐ脇で焚火をすることもある。川幅いっぱいに水が流れていて、河原に焚火をするようなスペースがない時もあるからである。こんな場所でも焚火はしたい。焚火の後、立つ鳥後を濁さずという状況にするのが難しく、心苦しく感じてしまう。 2012年 05月 15日
![]() 私は山で営業小屋にはほとんど泊らない。山小屋がないような静かな山が好みということが第一の理由だが、お金をかけたくないという理由も大きい。それは無料の避難小屋は大歓迎するという態度に表れている。今はまだテントを持って山に行く体力がなんとか保たれているが、将来は山小屋に頼らなければならない日が近いことは解っている。 山小屋についての知識が乏しい私だが、山小屋の存在は功罪相半ばしているような気がする。功については誰もが解っているので、ここでは述べない。あえて罪の方について触れたい。 私は古い人間なので山での早い時間に出発し、余裕を持ってその日の行動を終えるということが染み付いている。夏の天気は午前中は安定していても午後は不安定になる。春の雪のある季節では歩きやすく、雪が安定している時間に可能な限り距離を稼ぐのが得策だ。冬は日が短く行動できる時間は長くない。また山では何があるのか判らない。そのために常に時間に余裕を持たせた計画が必要だ。しかし最近はこんな行動パターンに反する行動をしている登山者を多く見かける。どうやら山小屋に泊る人に多いことに気付く。その原因には山小屋がかかわっているようだ。つまり行動が山小屋の都合によって決められるのである。このようなことは山小屋の罪のひとつだろう。 今年のゴールデンウィークは天候が不順で北アルプスでは多数の死亡事故が起こってしまった。直接的な原因の多くは登山者の力不足に起因するのだが、山小屋の存在が登山者の間違った判断を誘引しているのではないかと私は思っている。特に小蓮華岳の遭難では強くそう感じる。私も同じような時期に北アルプスにいたが、稜線での強い風や雨や雪などは容易に想像できた。もしテント泊の計画だったら、稜線でテントを張る危険性に考えが及ぶだろう。稜線に泊るリスクから少し戻った場所でテントを張ったりする修正も可能であろう。小屋泊の計画は雨で多少濡れても小屋に行き着けば服を乾かせるというテント泊では許されない行動も可能と思ってしまう。山小屋の存在が悪魔のつぶやきになってしまうようにも感じる。これも山小屋の罪のひとつだろう。 遭難の翌日、私たちは白馬大雪渓を下っていた。時間は15時近くだが、まだ登ってくる登山者に会った。場所はもう白馬尻に近い。私はもう高齢だが、その私より年をとっているように見える人から「山小屋は近いですか」と声をかけられた。このようなことを聞く時は、疲れていて早く目的地に着きたいという心理がある時だ。実際に彼は立ち止まる時が多いので疲れているように感じた。いつもなら「もう少しです。がんばってください」といったような励ますような返答をするのだが、こんな返答はまずいと思って、結果的には無視する態度になってしまった。稜線は灰色の雲の動きが激しく、稜線の状況は容易に想像できる。私たちは普通に歩けない強風の中を下山して来たのだった。それでも彼は上を目指した。こんな行動をさせるのも山小屋があるからだ。と思った。 2012年 05月 03日
![]() 昔は沢登りでヘルメットを被ったりハーネスを付けたままで歩くことはあまりしなかった。沢登りはシンプルなスタイルでするのが美しいとの哲学も多少は影響していたが、安全意識も違っていたのかもしれない。最近は易しい沢でも岩を登る時のようなスタイルで登るのが普通のようだ。私も時勢に竿ささずに最近のスタイルで沢を楽しんでいる。 ところがハーネスを外すのは何時がよいのだろうか。滝場が終わった場所だろうか、それとも稜線につめ上がった時だろうか。はてはて車道に降り立つ時であろうか。私は気分的には滝場が終わった場所で開放的になりたいところだが、ガチャ類はしまっても、ハーネスはそのまま歩くことが多い。 理由はいろいろある。そのひとつが水で濡れて重くなったズボンがたれるのを防止するためだ。ハーネスをとってしまうとズボンが垂れ下がって歩き難いのである。これが嫌で夏はハーフパンツをはくことが多い。 今年最初の沢では滝場が終わった場所で登攀具をザックにしまい、ハーネスもとってしまった。ところが下山の尾根で支尾根に入ってしまい、懸垂下降しなければ降りれなくなってしまった。道具を出すのも面倒なので肩がらみでの懸垂下降をしてしまった。その後の沢ではこの経験から、ズボンは濡れていなかったが、最後まで何があるか判らないという理由でハーネスをつけたままで下山路の尾根を歩いた。案の定、2回続けて尾根の末端で懸垂下降することになった。やはり危ない登山者は最後までハーネスを外してはいけないということなのだろうか。 2012年 04月 20日
![]() 私は山での焚き火が好きだ。特に泊りの沢では濡れた衣服を乾かしたり、炊事に利用したりと、焚き火はかかせない。しかし沢登りではなくても、また必要性がなくても、山で焚き火をしたいという気持ちがある。 子供の頃、西部劇が好きだった。カウボーイが一人荒野でキャンプする。潅木を集めた小さな焚き火を前にカウボーイはコーヒーを飲んでいる。静かな時を過ごしてから意を決して、少し飲み残したカップのコーヒーで焚き火を消して出発する。こんなシーンにあこがれていた。 もうかなり前のことだが、今は削除してしまった当時のブログに下記のような文を書いた。 「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫著)は日航ジャンボ機墜落事故を報道する地元新聞記者たちの興奮と混乱を描いた小説である。昨年NHKでドラマ化され、私は原作は読んでいないがテレビはしっかりと見た。短い時間に複数のテーマが盛り込まれているので、主題が絞れていない気もするが、ドラマ自体は面白い。NHKの取材班がテールリッジに張ったロープをちゃっかり使わせてもらったこともあり、ドラマとは別の興味でも楽しませてもらった。先週・今週と再放送があり、また何とはなしに見てしまった。 地方新聞記者・悠木は事故の日、友人と谷川岳衝立岩に登る約束をしていた。出かけようとしていた時間にジャンボ行方不明のニュースが流れ、彼は友人との約束を果たせなくなる。友人は悠木を駅で待っていた時、蜘蛛膜下出血に倒れてしまう。悠木は息子との関係を取り戻そうと、息子と倒れた友人の息子を誘って山を歩く。その後友人の息子はエベレストを目指すような岳人になる。事故から20年後、初老となった悠木は友人の息子と約束を果たせなかった衝立岩に挑む。 アタックの朝を二人は一の倉沢のテントで迎える。テントからはやっと明るくなった衝立岩が正面に望める。悠木は餅を焼くパートナーに子供たちをなぜ山に連れ出したかを語りだす。登攀の前にこんな神妙な会話は普通はしない。するとしたら登攀後だ。しかしドラマでは効果的な演出だ。 このシーンを見て自分の山行スタイルを考えてみた。アタックの朝はつい気持ちが登攀に向かってしまい、ゆとりある出発ができないものだ。時にはドラマのシーンのように気持ちを落ち着けて、一息ついてからの出発をやってみようという気になった。 今となっては解らないが、彼らは夜明け直前の河原で焚き火を前にしていたような気がする。現実では一の倉沢出合では焚き火はしにくいと思うが、しみじみとした会話には焚き火が似合うし、登攀を前にして心を落ち着かせるには焚き火は有効かもしれない。 先日、小さな沢登りを終わってから、時間があったので河原で焚き火を囲んだ。まったく必然性のない焚き火だったが、久々にただ焚き火がしたかったからだ。この時に思ったが、山での焚き火はその後に山での行動がなければならないと感じた。そして山を降りてからでは焚き火の効能がないように感じた。機会があったら、朝発でも十分な小さな沢歩きでも、前夜に登山口に出かけて小さな焚き火をしてみようと思った。 焚き火をして、心を落ち着かせ、それから出発だ。 2012年 04月 11日
![]() もう昔の昔、1969年の話である。私は一人でカナダを旅行していた。山は登らないで見るだけのつもりでカナディアン・ロッキーの麓の町バンフに滞在していた。旅行者からカナダ山岳会のロッジが安いと聞いて泊っていた。そこでは夜になると宿泊者が自分の山で撮った写真を披露するといった集まりがあった。私の知らない土地での素晴らしい山を知らされ、その後の私の憧れの行き先がはっきりとしていった。カナダの山も登ってみたくなり、バンフでピッケルとアイゼンを購入した。そして手始めに国道からよく見えるテンプルという雪山に単独で登頂した。 ピッケルとアイゼンはイタリアのグリベル製である。このピッケルのピックは先端が角ばっているのが特徴だ。ピッケルはもともと氷に足場を削るのが主目的だった。このピッケルも氷に刺すよりも、氷を砕くという目的に合った形状になっている。長さは当初写真よりも長かった。日本に戻って登攀ルートに持って行くと、長くて邪魔に感じたので知人に詰めてもらった。シャフトは木だが、このピッケルは特殊な樹脂加工がしてあるので非常に固い。簡単に作業を請け負った知人はえらく苦労したらしく、私はだいぶイヤミを言われたのを覚えている。 この旅行に出かける前の日本では、アイゼンはまだ8本爪が主流だった。しかし12本爪の歴史は思ったより古く、1930年代になされたアイガー北壁ではグリベル製の12本アイゼンが使われたらしい。出っ歯の形状は下向きではなく水平に近い形に飛び出ている。岩を登る時は非常に立ちこみにくく、こつが必要だった。しかしこのアイゼンはかなり長い間使用した。というのは、このアイゼンは当時は長さ調整機能がないものが主流だったが、非常に簡便な調整機能があった。前後のパーツを穴に差し込むだけというシンプルさだ。そのために山で靴からはずす時に落としやすいという欠点も指摘されていた。この機能のためにその後登山靴を替えてもアイゼンはそのまま使えたということだ。 アイゼンバンドは当時としては珍しい2本締めだった。写真ではナイロンバンドが付いているが、購入時は皮製のバンドが付いていた。私は皮製のバンドをカナダらしいと気に入っていた。ただ皮は濡れると延びる性質があり、欠点であるが私は逆にこの弾力性も気に入っていた。バンドが切れるとバンドを全部取り替えずに、切れた部分だけ新たなもので修理していた。そのためにいろいろなバンドがアイゼンに付いていて、その結果またまた個人的な愛着のある装備となっている。 このアイゼンは長く使ったが、ピッケルはすぐに他のものに替えた。新たに買ったピッケルはイギリスのマッキネスである。たぶん最初のメタルシャフトのピッケルではないかと思う。登山用具店で見て、その姿の斬新性にひかれて衝動買いしてしまった。刃が非常に薄く、氷をたたくと氷はまったく割れずに突き刺さる、といったピッケルだった。当時はダブルアックスなどという登り方は想像できず、マッキネスを使っていても、グリベルの時のように氷に足場を刻んでいた。 2012年 04月 02日
![]() 日和田山は埼玉県日高市にある標高305mの山である。日和田山へのハイキングコースの途中に小さな岩場があり、東京からのアクセスのしやすさもあって多くの人に利用されている。私も昔東京に住んでいた時にはよく利用した岩場である。手軽さからか昔は休日にはロープの簾のできたが、今でも人気の岩場らしい。 そんな日和田の岩場を愛する人たちが「日和田の集まり」というグループを作り、清掃や水場の整備などの活動をしているらしい。そして岩場を守る活動の一環として「ヘルメットを被ろう」という呼びかけをしているという。事故の多発は岩場でのクライミング中止の声になる。こんな呼びかけも岩場を守る活動なんだなと気付かされた。 一般にアルパインクライマーはヘルメットを被って岩を登るが、フリークライマーは被らないことが多い。やはりヘルメットを被ってでは十分なパフォーマンスを発揮できないからであろう。岩が安定しているショートルートならヘルメットの重要性は低いだろう。とは言ってもヘルメットの着用は事故の軽減につながることも確かだ。 最近ある岩場で山仲間とこんな会話をした。「ここは上からの落石等の危険は少ないし、トップロープなのでヘルメットは必要だろうか」、と私が問いかけた。するとこんな答えが帰ってきた。「確かにここではヘルメットの必要性は非常に低いでしょう。しかしザックを背負っての登攀と無しとの登攀はまったく違うように、アルパインの練習としてクライミングをするなら、本番と同じようにヘルメットを付けて練習をすべきでしょう」。私はこれも一理ありと思った。 私がよく行っている広沢寺の弁天岩はアルパインクライマーが多い岩場だ。たいていの人がヘルメットを被っているが、無帽の人も少なくないし、私も時には無帽で登ってしまう。この岩場は非常に混雑し、よく上部からギアが落ちてくる。また1ピッチで終わってしまうような小さな岩場だが、下からでは終了点付近が見えない岩場である。そのために上下でお互いが見えない状態でクライミングをしている。ヘルメットの着用は自分が落ちた時の身の保全だけでなく、落下物対策としても必要性が高い。 以前、広沢寺でこんなシーンに出会った。ある女性グループがルートの取り付き地点にシートを敷き、私物を広げていた。こんなことをされると他の人はルートに取り付きにくく、明らかなマナー違反だ。苦々しくこの光景を見ていると彼女らのこんな会話が聞こえてきた。「私たちはフリークライマーだからヘルメットは被らないもんね」 ヘルメットはファッションではなく安全具だ。 2012年 03月 28日
![]() ネット配信された下記のようなニュースを読んだ。 <遭難>女子大生を救助 男性は死亡 十勝岳連峰 毎日新聞 3月28日(水)12時55分配信 北海道上富良野町の十勝岳連峰・上(かみ)ホロカメットク山(1920メートル)で男女2人が遭難し、北海道警富良野署は28日午前6時半ごろ、中腹で小樽市の大学2年、○○○○さん(20)をヘリコプターから発見、救助した。命に別条は無いという。また山頂付近のテント内で、同行していた札幌市西区の無職、○○○○さん(66)の遺体を発見し、収容した。凍死とみられるという。 同署によると、27日午後8時25分ごろ、○○さんの友人を通して救助を求める110番があり、捜索していた。27日は吹雪に見舞われ、○○さんは下山の方向が分からなくなったと話していたという。2人は登山仲間で、25日に入山した。 この記事では「2人は登山仲間」と書いてあるので、たぶん二人は同じ社会人山岳会に所属し、所属山岳会での山行と考えられる。(別の報道機関では2人は同じ山岳グループに所属していたとあった。)かっては山岳遭難を伝える新聞記事には遭難者の属性として所属山岳会が明らかになっていることが多かったと思う。それが最近では遭難記事にまず所属山岳会名は書かれていない。 新聞は読者が何を知りたいかを意識して書かれ、その内容は誰でも理解できるように書かれる。山岳遭難を例にとれば、遭難者の住所・氏名・性別・年齢であるらしい。読者が興味を示すような特別な職業や地位についていれば、職業や地位は具体的になることがある。学生ならば東大のような有名校なら具体的な大学名が報道され、無名の大学なら単に大学生となる。北海道では北大は特別な存在で、北大生ならまず北大生と報道される。山岳会の名前などは山に興味がない読者はまず知らないだろう。 最近の報道で山岳会の名が出ないのは遭難者がどこの山岳会に所属しているかは読者の関心事でないし、書いても読者は知らない名前だし、書かないのだろうか。私にはそれだけだとは思えない。 この種のよくある事件ではマスコミは特別な取材をすることなく、警察等の発表をそのまま記事にしているようだ。その証拠にマスコミ各社の記事の内容がまったく同じであることから推察できる。上記の遭難については読売新聞の記事だけが少し詳しい内容になっていた。亡くなられた男性は北海学園大山岳部OBで、生還した女性は北星学園大ワンダーフォーゲル部に所属しているとあった。この記事でも山岳会名は書かれず、ただ登山仲間とだけ書かれていた。そしてこの山行が行われた母体ではなく、別の山岳組織名が記事になっているのが興味深い。 今やほとんどの山岳会は昔の面影はない。今でもしっかりとした活動をしている山岳会はあるが、実に少数だ。名前だけのような山岳会もあるし、いいかげんとしか言いようのない山岳会も多くなった。そのような実情を知ってか知らぬか、山岳会の門をたたく若者は激減している。そのために昔のように山岳会で山を徹底的に仕込まれることもなくなり、登山者の質も落ちている。山岳会に所属しているからといって、山の熟達者とは言えなくなった。 遭難者がどこの山岳会に所属しているかは警察も重要視していないように思えるし、それを記事にするマスコミも同じようだ。それだけ山岳会という組織が衰退し、社会的には相手にされない存在になってしまったと私は感じている。読売の記事は遭難者は素人ではないと言いたかったのだろう。素人ではないという証拠を山岳会に所属しているからではなく、大学のクラブ名を出していることから、記事を書いた人は山岳会名を書くよりも大学のクラブ名を書いたほうが説得力があると考えたのだろうか。書いた人はきっと山岳会名なんて書いても読者を納得させれないと思っていたように感じられる。 がんばれ! 山岳会 2012年 03月 22日
![]() 私が山を始めたころ、バリエーションルートを登るにはそのルートのある山域の概念を知る山行から入れ、と言われた。何も私が特別なことを言われた訳でもなく、山の入り方としては正等な道であり、バリエーションのガイドブックでもこの考えで書かれていた。それが最近ではそうでもなくなってきた。私の周囲でも「山の概念?、それって何ですか」といった感じになっている。山の概念を知ることなく、始めて入る山域でいきなりバリエーションルートを登る例を多く目にするようになった。 山の概念を知るということは、地形、地質、植生、気象、雪の状態、歴史、等々、その山域の持つ特性を身を持って把握することである。このような目的での山行をバリエーションをトレースする前に実施しておくことだ。そこで得られた知見はバリエーションルートで遭遇する危険予知に役立つであろうし、ルートを登り切った時の喜びも大きくなるものである。ただルートを運良く登り切っただけでは得られないものがあるはずである、と思っている。 最近、ノンフィクション作家の佐野真一氏の書いたものを数冊まとめて読んだ。氏は日本を代表するノンフィクション作家で非常に多くの作品があるが、私は一冊も読んだことがなかった。それが彼の雑誌の中に収められていた非常に短いエッセイを読んだ。彼の考える文芸論とも言うべきものがテーマとなったエッセイだ。彼は毒舌ともとらわれる鋭い観察眼で有名らしい。その彼らしくない文に接し、私は意外なものを感じた。なぜこのようなエッセイの中での言葉になるのか、彼の言葉の背景を知りたくなった。目を通した著書はノンフィクションではなく、佐野真一式とでも言うようなノンフィクションを書く方法論のような著書である。これにより彼の立ち位置というものをよく理解でき、彼の考える「ノンフィクションはいかにあるべきか」がより理解できるようになった。 彼は「旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。彼の方法論はたいてい民俗学者の宮本常一の調査手法がベースとなっている。そして座右の銘として宮本常一の父親が十五で故郷の島を離れる息子に贈った十個条のはなむけの言葉を紹介している。 「村でも街でも、新しく訪ねていったところは必ず高いところに上ってみよ。そして方角を知り、目指すものを見よ。峠の上で村を見下ろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ。そして山の上で目を引いたものがあったら、そこへは必ず行ってみることだ。高いところでよく見ていたら道に迷うことはほとんどない」 私はこれを読んで、山の概念を知る山行の大事さを改めて確信した。真理というものはあらゆるジャンルを越えて存在するものである。 2012年 03月 19日
![]() ある岩登りのゲレンデでの確保支点でのことである。別ルートから登って来たグループも支点を共有した。グループのリーダーは名の知れた山岳ガイドだった。彼から私たちに話しかけたきた。 (ガイド)「山岳会ですか」 (私たち)「ええ、そうです」 (ガイド)「山岳会っていいですね」 最岳会の勢いがなくなってから久しい。かっては山は山岳会を通じて覚えるものだったが、今ではいろいろな選択肢があり、ガイドから学ぶ人も多い。そのような風潮の中でのガイドの「山岳会っていいですね」という言葉は印象に残る言葉だった。つい先日、毎日新聞に「暴走族:激減 都内ピーク80年の1/50」という記事があった。読むと暴走族激減、特に暴走族グループの衰退の背景は山岳会に言われていることと瓜二つで、思わず苦笑いしてしまった。 (新聞) 暴走族が激減している。東京都内の場合、ピークだった1980年には5379人だったが、今年1月に警視庁が把握したのは50分の1の119人。グループ内での厳しい上下関係が若者に敬遠されるようになったことに加え、長引く不景気でオートバイの改造などにかける金が不足しているのも減少に拍車をかけたとみられる。 (山岳会) 山岳会の扉をたたく人は少なく、特に若年層が入会しないのがたいていの山岳会の悩みだ。入会の条件を厳しくすると組織の維持が難しくなってしまうので、門戸を広げても効果が少ない。そして昔と違って若い人を取り巻く環境は厳しく、山に打ち込むことが難しくなっているようだ。 (新聞) 捜査関係者は「若者の上下関係の意識が希薄になったことに加え、パソコン、ゲームなど娯楽の多様化が背景にある」と分析する。共同危険行為の違反点数は81年に9点から15点に、02年には25点に引き上げられた。また、同年の改正で違反すれば2年間免許を取れなくなるなど厳罰化も影響しているとみられる。 (山岳会) 会員の減少は山岳会からいろいろな規制を受けたくないという最近の若者気質もあるようだ。昔は限られたレジャーしかなかったが、今はレジャーも多様化し、山以外の楽しみも多い。そして山は危険で手を抜けばすぐに遭難につながる。遭難を起こせば昔よりも世間の風当たりは厳しい。 (新聞) 共同危険行為容疑で逮捕されたメンバーの1人は「厳しい上下関係は好きじゃない」と供述したといい、「暴走族というよりは友達の集まりに近い」(警視庁暴走族対策室)。週に3回集まり、バイクと原付きで深夜に暴走行為を繰り返していたという。 (山岳会) 山岳会にはかってのような鉄の団結を求める会はほとんどない。組織を挙げて一つの目標に向かうというような山は影を潜めた。楽しければよいという姿勢で適当に山を楽しんでいる。 2012年 03月 16日
![]() 最近の登山装備は一つのもので多用途に使うというより、用途ごとに特化した装備になっている。最初はこんなものが必要か、と疑問に思っても使ってみると便利なので、知らず知らずに装備が増えてしまう。昔の写真を見ると、こんな少ない荷物で、と思えるくらいに荷物が少ない。たぶん不便や苦労もあったと思うが、当時は山とはこんなものと思っていたので不便な気持ちはなかったと思う。ただ雨に対しては惨めな思いをしたことがなかなか記憶から消えない。当時は若さで乗り切っていたが、今ならきっと耐えれないと思う。 私は登山は「よりシンプルに」というのが正しく美しい道だと思っている。シンプルな登山を実現できるには強い意志や卓越した技術が必要だ。「より困難に」というアルピニズムの真髄に通じるものを感じる。 一時は封印していた山スキーを最近復活した。スキーから離れた理由は体力が落ちて上手く滑れなくなったのが理由の一つだ。上手く滑れなくても楽しめる精神状態になったのが復活できた理由かもしれない。ずっと板はストレートで滑っていたが、一昨年に新しい板にした。しかし靴は専用のものではなく登山靴で滑っている。最初は経済的な理由だったが、今ではたとえ金ができても登山靴で通そうと思っている。これは知らず知らずに染み付いた「シンプルな登山」への憧れのような気がしている。
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