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仮説・登山用語バリエーションルートの起源

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 登山用語『バリエーションルート』は二つの起源を持っているというのは自明だろう。一つはアルパイン系の人たちが使う「より困難なルート」であり、もう一つはハイキング系の人たちが使う「ハイグレードハイキングのルート」である。

 後者は松浦隆康(1950年生まれ。新ハイキングクラブ会員)の著作である『静かなる尾根歩き 』(2007年)、『バリエーションルートを楽しむ』(2008年),『バリエーションハイキング』(2012年)に起源を求めることができる。ハイキングの世界での使われ方は最近のことと解る。

 前者は私にとっては半世紀ほど前の登山を始めたころから自然に使われていたので、その起源は?、という疑問はまったく浮かばなかった。最近では二者の使い方が山を始めた人たちに混乱を生じさせているようで、また明らかに間違った説などをネットで見るに至って、アルパイン系で言う『バリエーションルート』の歴史を調べてみようと思い立った。

 調べるとすぐに、起源はこれだろうというものに辿り着いた。イギリスの登山家ママリー(またはマンメリー)(Albert Fredrick Mummery 1855-1895)だ。彼はマッターホルンが登られた後の登山界の方向をスポーツ的でより困難な冒険的初登攀に定めた。そのようなルートをdifficult variation routeと表現した。彼の思想はマンメリズムと呼ばれ、アルピニズムを論じる時には必ず触れられていた。この思想を日本に紹介したのは大島亮吉で、雑誌「山とスキー」で『山の想片』(1924年、大正13年)という論文で紹介している。

 登山史家は後に、1930年(昭和5年)ごろからの今まで行われてきたより困難な登攀や挑戦的な積雪期登山を本格的バリエーションの時代としている。すなわち、小川登喜男の谷川岳や穂高での登攀、早大山岳部の積雪期の滝谷での登攀、小谷部全助(東京商科大)らの北岳バットレスでの登攀が記録された時代である。

 大島が紹介したマンメリズムを基にした思想は日本の登山界の主流となり、difficult variation routeはその後difficultが省略され、バリエーションルートになったと思われる。しかし省略されたdifficult(困難な)という意味はバリエーションルートに含まれて使われてきたと想像した。当時の登攀記録だけを見る限りバリエーションルートという言葉は見つけることでできなかった。いつの時代にdifficultの部分が抜けたのかは不明だ。

 バリエーションルートという用語は記録ではなく、山域の解説や登山論で使われる言葉のために、記録を調べても使用例が見つからないのかもしれない。その中で、早大山岳部部報「リュックサック」第7号(1935年、昭和9年発行)の編集後記にマンメリズムに基づくアルピニズム論を展開した舟田三郎の下記の記事があった。
ディフィカルト・バリエーション・ルートを探求する学生登山者として、正しい道をたどってきたと堅く信じている」という一文である。
早大山岳部が他の登山団体よりディフィカルト・バリエーション・ルートにこだわりがあったのは事実である。まだディフィカルトは省略されていない。

 そして、三高山岳部報告六号(1929年、昭和4年)にある記事・「剣岳の東面(高橋健治)」にバリエーションルートが使われていた。本格的なバリエーションの時代に入ったとされる時期だ。具体的には下記のような使い方だ。
小窓尾根から三ノ窓チンネを眺めている。(概念図は略)みな今後の面白いバリエーションルートだ

 ところで、世界山岳百科事典(山と渓谷社、1971年)のバリエーション・ルートvariation routeに対する記述はよく引用されている。ここではバリエーション・ルートを以下のように説明されている。
<E><一般>英語のバリエーション、ドイツ語のバリアンテはともに変形、変種の意味で、登山では一般ルートに対し、より困難な地点から頂上などの目的地に登るルートのこと。多くの場合、岩壁や氷壁にとられたルートをさす。(佐内順)

 バリエーション・ルートはディフィカルト・バリエーション・ルートという言葉からいつしかディフィカルトが省略されて使われだしたとすると、世界山岳百科事典の説明はおかしい。辞典では英語の用語にバリエーション・ルートがあり、それをそのまま使われたと読みとることがきる。識者によると英語の登山用語にはバリエーション・ルートはなく、和製英語とされている。variation routeをネット検索しても英語での記事にはヒットしないので、英語ではないのだろう。

 まだ調査中で、私としての結論は出ていない。そのために仮説とした。昭和初期の登攀記録をざっと目を通したところ、意外とバリエーション・ルートは使われていない。戦後になって戦後クライマーの記録にはバリエーション・ルートは使われている。もしかすると、バリエーション・ルートという言葉は昭和初期に誕生し、戦後になって広く一般的に使われたのではないだろうか。あくまでも私の推測だが。

 最後にもうひとつ補足したい。クライマー魂(木本哲)の巻末に本書で使用した登山・登攀用語解説がある。この解説はヒマラヤ等の高峰登山に限っての説明であると考えている。
バリエーションルート
初めて登られた登山ルート(ノーマルルート)に対して、その山の二本目以降のルートを指す。その山の初登頂ルートはやさしいルートを選ぶことが多いので、普通二本目以降の登山ルートは初登頂時の登山ルートより困難なルートになることが多い。中にはバリエーションルートのほうが、一般ルート化した山もある。登山ルートや登攀ルートは入山者の多寡によって困難度が変ることがある。登攀ルートは押しなべて一般ルートよりはるかに難しい登山ルートである



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by ichigomilkkk | 2018-10-28 20:41 | Comments(0)